静岡県の伊豆高原の休火山「大室山」のふもとにある、
村木雄児さんの工房にお邪魔しました。
村木さんは、土ものの作家。
土もの好きにはたまらない、
表情のよい、かっこいい器を作る作家なのです。
現在65歳。
キャリアは、もう35年以上というベテランです。
若手作家に電話すると、
「来週から村木さんのところの窯焚きにいく」
という話をよく聞くので、
どんな大きな窯を持っているんだろう、って、
ずっと気になっていたのですけれども、
昨日、ようやく工房を訪ねることができました。
個人で持つには、かなり大きいタイプのもののよう。
こんなに大きいのでは、炊くのはもちろん、
窯詰めも、さぞかし大変なのでは、と思って聞いてみましたら、
やっぱり1週間以上かけて窯詰めをしていくそう。
使う薪の量も膨大で、今、積んであるものの倍以上を、
一回の窯焚きで使うそうで、
広大な敷地に、ゴロゴロと大きな丸太が転がっていました。
登り窯に火を入れるのは、年に1〜2回ほど、
それ以外はガス窯を使って焼いているのだそう。
高校を卒業したのち、東京のデザイナーの専門学校に行って、
そこで陶芸をやって、それが面白かった、自分に合っていたから、
瀬戸の窯業訓練校にいったそう。
それから徳島の民芸の窯元で修行をしてから、
一年ほど戻ってほかの仕事をして、
おなじように陶芸をしていた浅井純介氏と出会い、
一緒に鯉江良二氏の元に通ったり、
そのうちに無二の親友となった青木亮氏と出会ったりして、
お互い切磋琢磨しながら、やってきたとか。
「青木がなくなる前に、「村木、お前は薪窯をやれよ」って、言って、
それが遺言だと思って、それから、なんだかんだ5年くらいかかって、
今の登り窯を作った」
とおっしゃっていました。
「日本の陶芸家っていうのは、
アーティストでもないし職人でもなく、あいまいなもの」
「器は、道具であって、使ってもらってこそ。」
「今、嬉しいのは、お母さんが好きで家でずっと使っていた、
という娘さんが、器を買いにきてくれること。」
とおっしゃいます。
「陶芸っていうのは、自分のああしたい、こうしたい、って、
頭で考えてやるものじゃなくて、土におもねって、
形にしていくもの。」
だから、原土を使って作っているし、
土が作り出すものが、強く現れているのが村木さんの器。
「原土をドレン器にかけて、そのまま使うから、
たまに、枝なんかが入ってて、そのまま焼いてしまって、
焼きあがったら、そこに穴が空いてたりするのよ 笑」
って。
いい、器なんですよ。村木さんの器。
ぱーっとしていて。
これから、ももふくに、並びます。
仕入れてきた器たちは、また改めてご紹介しますね。