やっぱり、めし碗は大切です。
食事というのは、意外とエネルギーの必要なものですよね。
美味しく沢山食べる、きちんと食事を摂る、というのは結構大変。
いつもいつも元気でベストなコンディションでいられれば、そういうふうに感じることは少ないかもしれません。
が、ちょっと体調が悪かったり、気分が落ち込んでいたりすると、自分のエネルギーが食にまでまわらなくて、食事がおろそかになる、という人も多いと思うのです。
というか、ワタクシはそうなのです。
何かあると、食事を摂るということが苦痛で仕方がなくなります。
食事はどうでもよくなってしまう。
子供の頃からそうなのですが、特に若かりし悩み多き乙女だった頃、兎に角、食べるのが苦痛でした。
結婚してからも、しばらくそんな状態でしたから、夫には申し訳なかったのですが(っていうか今もそうかも)、あまり食事に気を使っていせんでした。
まあ、毎食、毎晩、作るのも食べるのも、苦痛でした。
食事って行事がなかったら、どんなに楽だろうか、などと思っていました。
ある日、たまたま入った器屋で、粉引の飯碗を買ったのです。(食事は面倒ですが器というかモノは好きなので店を見るのは好きでした。)
それが、初めて買った作家ものだったように思います。
とても感じのいい粉引でした。
手に持った感じも良くて、よそられたご飯も美味しそうに輝いていて、それが、すごくよかったのですよ。
ごはんも、とても、とても美味しかった。
飯碗に盛られて輝くご飯が嬉しくて。
ご飯は、実は美味しいんだなぁ、と思ったです。
それで「あぁ、ご飯、きちんと食べないとダメだな」って思ったですよ。
そんなこと思ったことなかったのですけれども、それがツボだったみたいで、大げさですけれども、きちんと生きなけりゃぁダメだなぁって思ったのです。
食事をきちんとしないと、きちんと生きられない、って思ったのです。
馬鹿っぽくツマラナイ話で申し訳けないのですけれども。
飯碗がいいと、ごはんが食べられるようになる、かも。
飯碗、大切!
って信じていまして、そうなこともあって器屋をしていたりします。
という飯碗なども17日(土) からの「小澄正雄・田谷直子・八田亨 三人展」に並びます。
どうぞお楽しみに。あぁ、なんて強引なオチ・・・スミマセン