うつわ ももふく 

作家もの和食器の店 東京町田 

作家の器を扱うということ

増田勉

作家の器。

これって、つまるところ、どういう位置づけのものなんだろう。

この仕事を始めてから、疑問に思ったことでした。

建築の仕事から、この仕事(器の世界)にはいったので、店を始めた頃は、最初は生活の道具、食卓を彩るものの一部、インテリアの一環として提案していました。

でも、そのように扱うのであれば、別に作家の器でなくともいいのです。

ですが、もとから作家の器、個人が一人で作り上げる仕事というものにひかれていたこともあり、作家の器のみを扱うことにしました。

そうして、いろいろな作家とお付き合いさせていただくようになってから、気づいたことがありました。

作り手は必ずしも、食器としての器を作っているのではない。

食器という枠としてではなく、ただ単に形が器だった、という理由で器を作っている方が多い。

むしろ、そういう方のほうが多いのかも、ということなのでした。

それって、つまるところ、どういうことなんだろう。

 

「自分の作っているものは、言葉にするなら工芸」とある方はいいました。

 

「工芸」

ってなんだろう。

アートとか、芸術とか、美術とか、というものと、何が違うのだろう。

 

この言葉の定義が、わからなかった。

 

少しまえ『「生活工芸」の時代』という本を読んだ際、橋本麻里さんによって書かれている頁に「工芸」というのがどこからきているのかが簡単に書かれていました。

それから「工芸」についての書籍を何冊か読んで、ようやく、なんとなく、姿がわかったのです。

 

「工芸」の定義。

昔からあるもののように思ってましたけれども、実は結構新しい言葉(といっても明治期に生まれた言葉。140年くらいの歴史)で、新しい枠組、ってことがわかった。

そして、どこからきたのか、はわかっているのだけれども、どこへ向かっているのか、は決まってない。未定。

それをいろんな人がこねくりまわしているのが今。混沌としている。定義できていない。

だから、わからないものなのだ。

そして、作家は、そこと向き合っている。器として器をつくっているというだけでなくて、そこに向かっている。

なんというか、とても、そこが面白い。

 

さて、これをどうやって伝えていったらいいんだろうか。

 

「そんな難しく考えなくていいじゃん」

って、いわれたことがありました。

 

違うのです。難しく考えるということと。

この仕事をしていくうちに、自分もそこを追求したくなってしまったのです。

器は、工芸といわれていものは、日本で独自の独特の発展をとげているもの。

だから、いく先がどこなのか知りたい、という好奇心なのです。

知りたい。

できれば関わっていたい。

そういう好奇心。すけべーなのです。

 

なので、作家の器を、食の道具として紹介するだけではなくて、「工芸」というなにかしらものとして伝える。

それが作家の器を扱うということなのだ、と思っています。